ここへきて、かなりフラフラしだしてきている世界の金融バブルだが、これも所詮は人為である。
人為? そう、カネあまり上昇相場に乗って、もっともっと儲けようとするのは、人間たちの欲である。
また、景気やコロナ対策から株価はじめ金融システムの維持まで、すべて人間たちの努力つまり人為である。
高齢化の進展で制度疲労が顕著となってきた年金制度をなんとかしようとするのも、これまた人為である。
もっともっとと、人類はあらゆる努力を積み重ねてきた。 その点が、他の動物たちとは決定的な違いである。
よりよい社会を実現しようと、あらゆる分野で英知を振り絞っている、多くの人々の飽くなき挑戦にはただただ感服する。
とはいえ、物事には限界というものがある。 それを、自然の摂理が働くという。
たとえば、株価上昇の波に乗って、もっともっと儲けようと人間の欲は果てしなく膨らんでいく。
ところが、ある段階になってくると、果てしなく膨れ上がっていく欲望の片隅で、不安心理といったものが芽生えてくる。
すごい上昇相場が続いているが、誰かが売りだしたら一転して大きく崩れるに違いない。
そうなったら、売るに売れない状況に放り込まれ、大損を食らいかねないぞといった不安心理だ。
ガンガンの強気の片隅で、崩れに入ったらやばいぞといった警戒感が、心の中で徐々に醸成されていく。
そういった不安心理や警戒感が、ちょっとした下げをきっかけにパッと広がって、マーケット全般が売り一色に転じる。
その様を眺めていると、天井知らずの上昇相場に対し、自然の摂理が働いてブレーキをかけたかのように見える。
一方、国の財政悪化や借金の膨れ上がりに関しても、いずれ物理的な限界が立ちふさがる。 これも、自然の摂理が働くとなる。
日本はじめ先進国は膨れ上がる一途の財政赤字を埋めようと、野放図な国債発行を続けている。
国債発行を潤滑に進め、かつ国債の利子負担を抑えるそのためには、政策金利をゼロ同然にしておきたい。
そうやってきたものの、国債の発行残高がどんどん積み上がっていけば、いつかはその重みに耐えられなくなる。
そして、どこかで一角が崩れるや、国債はじめ債券市場では売りの連鎖が瞬時に広がっていく。
それはそのまま、債券の流通利回りの上昇、すなわち長期金利の急上昇に直結する。
これまた、自然の摂理が働いたと説明されよう。 どんな人為も、自然の摂理には勝てない。