本質的な部分とは、使いこなす知恵とは

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デジタル革命だ、情報化だ、ビッグデータだ、AI の時代だとかが、毎日の生活に覆いかぶさってきている。

そういった大波に乗っていかないと、時代遅れどころか人生の脱落者になりかねない。

しばらく前からいわれている、IT を使いこなせるかどうかで人生に格差が生じてしまう、デジタル・ディバイドの時代だ。

それもあってだろう、国も小中学校の教育指針で IT の素養を身につけさせる方向にある。

さて、そういった時代の大きな流れに、どう対処していこうか? どこまで最先端の IT 技術を使いこなして、流れに乗っていくべきか?

本当にデジタル・ティバイドで、毎日の生活にも支障が出てくるのか?

現に、中国では露店の雑貨でさえもスマホ決済となっており、現金のやり取りが片隅に追いやられているとか。

まあ、ある程度は現代の利器を使いこなせた方が、なにかと便利である。

しかし、便利さに流されてしまわないよう、自分の生き方や価値観に重石を持つことが大事であろう。

バランス感覚といっていい。 ぱっぱと情報を集め、それでもって素早く判断し行動する。

すべて、それで良いのかどうか、ちょっと止まって考えてみる。 ちょっと止まってみると、別にこれやらなくってもいいかな。

そういった判断も出てくる。 もちろん、よしやろうと意を強くすることも、しばしば。 これが、バランス感覚だ。

そこで問われてくるのが、いつでも物事の本質に迫ろうとする思考力である。

たとえば、現代はグローバル化の時代というが、経済活動のすべてがグローバル化の価値観に流されていいのかどうか。

ローカル経済で十分な部分は、そのまま大事にした方がエネルギーや資源の無駄遣いを防げる。

地域の文化や伝統技術も守れる。 その方が、より多様性のある社会となっていく。

そう考えると、グローバルとローカルを柔軟に使い分ける知恵というか能力が問われてくる。

あるいは、ヨーロッパでは古いものを大事にする伝統が根強い。 なにかも新しいものに取り換えていって、時代の流れに乗ることが大事だとは考えない。

古き良き伝統や文化は、自分たちの拠って立つべきところと大切にする。 日本のように平気で古いものを潰しては、新しいものに建て替える価値観とは一線を画している。

なにが大事なのか、なにを大切に守っていかければならないのか。 いつでも、そこから考える習慣をつけると、バランス感覚も自然と出てくる。