本物の投資家いなくなったねー

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この長期投資家日記でずっと書いてきている、大きな読みについてだ。

昔、そう70年代前半までは、投資運用には大きな読みが当たり前だった。

そもそも投資は、将来を築いていくために資金を投入することである。

将来を築いていくという以上は、どんな将来を求めていくかの夢や思い、そして意思が欠かせない。

意思? そう、将来を築いていくといっても、なかなか思うようには展開していかない。

さまざまな向かい風を打破し、想像もつかなかったような壁を突破していくには、相応の意思の力が求められる。

かくして投資には、いろいろな変化や出来事を読み込んでいくことが不可欠となる。

それが、大きな読みである。 たとえば、昨年からのインフレ台頭や金利上昇だ。

インフレ台頭の背景や、金利上昇の経済社会に及ぼす影響など、幅広くかつ深く洞察を重ねる。

その洞察に経済合理性を加えた判断と、現行のマーケット動向とを照らし合わせてみる。

すると、マーケットの行き過ぎが、くっきりと浮かび上がってくる。

となれば、高く買われすぎている株価や債券価格は、売っておいた方が良いという判断に至る。

つまり、この長期投資家日記で繰り返し書いてきてように、金融緩和バブルから遠く離れておこうとなる。

しかるに、世界の金融マーケットはまだまだカネ余り上昇相場の余熱にしがみついている。

とりわけ、世界の機関投資家たちが、音楽が鳴っている間はダンスを踊り続けなければならないとして止まらない。

巨額の資金を運用する機関投資家たちが、自分の投資判断は横へ置いて、マーケットにしがみついているのだ。

彼らには、大きな読みも、独自の投資判断で行動することも禁物である。

なぜなら、マーケット動向にびったりと引っ付いた資金運用が、彼らに与えられた任務なのだから。

彼らには、カネ余り上昇相場に最後の最後までついていって、暴落相場に遭遇するしか道はない。

投資家というには、あまりにお粗末な行動であるが、それが機関投資家たちの仕事である。

となると、われわれ本格派の長期投資家の大きな読みを、あざ笑うかのようなマーケット展開が続くしかない。

世界の機関投資家たちがダンスを踊り続けている間は、どうにもならない。

しかし、ある日突然に経済合理性の鉄槌というものが下される。

その瞬間に、マーケットも機関投資達も吹っ飛ぶことになるわけだ。

大きな読みと経済合理性を無視してきた当然の末路である。