すこし前は、パソコンやスマホを自在に使いこなせる人と、そういった情報機器に疎い人たちとの間で、有利不利が際立っている。 いわゆるデジタルディバイドという格差が喧伝された。
最近は、経済格差という言葉があちこちで氾濫している。 高所得層と低所得層とでは、教育に投入できる資金に大きな差があり、それがさらに格差を助長するといった懸念が、その一例である。
これは専門家に教えてもらいたいところだが、格差という言葉が強い響きを持っているのは日本だけではなかろうか。 地域格差とか社会格差は世界中にあふれているが、その酷さを日本ほどヒステリックに語ることはないように思う。
もちろん、地域格差や社会格差といった問題を放置するわけではない。 ひとつの現実としてとらえ、どう解消していくかで、どこの国もいろいろ努力している。 遅々たる改善スピードをもって、ヒステリックに格差を云々することはない。
ところが日本では不安症の国民性なのか、格差問題がわが身にも忍び寄っているかのような過剰反応をしがちである。 だからといって、それならこういった対応をしておこうといった行動には至らず、ひたすらそちらの方面の情報に脅えるばかり。
やたら不安がる前に、だったらこうしておこうと行動を起こした方が早い。 行動してみて上手くいけば、不安はどんどん薄まっていく。 上手くいかなかったら、方法を変えたり違う行動をとってみるだけのこと。
行動の中には、すこしでも余裕があれば弱者といわれる人たちへの配慮も入ってくる。 経済的弱者から社会的弱者、そして疲弊する地方経済に対し、なにができるのかを考え行動する。
そういった ”だったら、こうしようよ” の行動に重心を移すと、格差とかの言葉に脅えて縮こまっていた昨日までとは違ってくる。 精神衛生上も健康的な毎日を送れる。
年金不安も然り。 国の年金制度がどこまで当てになるかで不安がっている暇があったら、自分年金づくりをどんどん進めていけばいい。 そして、国の年金はもらえたら儲けぐらいの位置づけにしておくと、気持ちは楽である。
だったら、こうしておこうよの行動論理で、世の中への提案として15年半前にさわかみファンドを設定した。 その間の運用成績は年率にして4.7%と、経済状況を勘案すると立派なもの。 もちろん、預貯金や国債を買っておくより、また国の年金運用よりも、はるかに高いリターンである。
まさに、悩むより行動するに如かずである。