サラリーマン運用の限界

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年金などの運用業務に携わっている人々は、いずれもが雇われ、つまりサラリーマンである。

国や企業年金など、運用資金を委託する人たちは、しっかりと毎年の成績を出すよう求め、かつ管理する。

一方、運用を担当する方も、ひたすらマーケットを追いかけては、毎年の成績を叩き出すことに終始する。

どちらも、それが与えられた職務であり、それぞれの職務を全うしていくことで給料やボーナスにありつける。

彼らが職務として追いかけるは、毎年の成績という数字である。 それをもって、運用としている。

ここに、世界の機関投資家運用が陥っている問題がある。 いってみれば、構造的な問題である。

どういうことか? 投資運用は本来、将来社会を築いていこうとする方向感をもって資金を投入していくものである。

当然のことながら、出来上がっていく経済や社会に対する意思と責任感が求められる。

しかるに、年金など巨額資金を運用するにあたって、ひたすら運用成績という数字を追いかけているだけ。

その運用が、経済や社会にどのような影響を及ぼしているかについて、まるで無関心無責任である。

それどころか、毎年の成績を出すためには株価上昇だと、企業に短期的な利益最大化を求めるアクティビストたちに同調したりしている。

彼らの経済や社会に対する意思や責任感のかけらもない運用が、あまりに酷くなってしまった。

そこで飛び出てきたのが、ESGでありSDGsである。 環境や社会そして企業統治に、もっと配慮しよう。

持続性のある経済発展のために、これこれの目標を定めましょうということだ。

そんなスローガン、そもそも機関投資家たちが経済や社会のあるべき姿を意識して運用にあたっていれば無用な話。

ところが、現実は運用成績という数字を無機質に追い回す、サラリーマン運用に安穏としている。

きわめて由々しいことだが、世界の年金はじめ機関投資家運用が巨大なシステムとなってしまっている。

ちょっとやそっとでは変わりそうにないが、いずれ来る金融緩和バブルの崩壊で一度ズタズタになるといい。

まあ、われわれ本格派の長期投資家は世界の機関投資家運用とは遠く離れて、ホンモノの投資運用を続けよう。

だいぶフラフラしてきた世界の金融マーケットが、ドスーンときたときに、真価を発揮できる。