先週の日銀による利上げ決定にもかかわらず、円はダラダラと下げ基調にある。
しばらく前までは、なにかにつけて円安誘導を唱えてきたが、いまや放っておいても円安に流れていこうとしている。
危険な傾向である。 米国ではトランプ政権が米FRBに利下げを迫っている、それに対して日本の利上げだ。
普通なら、日米の金利差の縮小で、円やドルに対し強まっていいはず。
ところが、外国為替市場では円安に傾いている。 片山財務相がけん制しているが、さてさてどこまで効果あるのか。
この半世紀を振り返るに、1971年のニクソンショック以来、日本は円高の圧力を受け続けてきた。
71年8月に、それまでの1ドル360円が突如、308円に切り上げられた。
まだ脆弱だった輸出産業を中心に、日本経済は驚天動地の大混乱に叩き落された。
そこへ73年10月の第1次石油ショックで、原油価格は1バレル3ドル以下だったのが、10ドルと3倍に引き上げられた。
79年末の第2次石油ショックでは、30~34ドルとなった。 2度の石油ショックで、原油価格は10倍となったのだ。
円高とエネルギー価格の高騰で、戦後日本の急成長は終わったと世界からは、やや同情的にみられた。
ところが、日本産業界は驚異の粘り腰で、2度の石油ショックとも3年弱で乗り切ってしまった。
その後、世界が変動為替相場制に移行したのに伴って、円高はさらに進み、1ドル250円になっていった。
そこで、1985年9月のプラザ合意で世界はドル全面安を容認し、円は2倍の125円へと切り上がった。
それでも、輸出産業は頑張った。 懸命の努力で2倍の円高を乗り切って、さらに強くなっていった。
90年代に入って、円はついに90円台に入っていった。 世界最強の工業力を欲しいままにしたものだ。
その頃からだ、産業界が円安大合唱を始めたのは。 80年代後半のバブルが崩壊した痛みもあって、国に泣きついた。
国の方も、バブル崩壊によるデフレ現象に追われていた。 つまり、産業界も国も弱気というか弱腰に陥っていった。
それ以降、今日まで30年あまり、日本経済のジリ貧と円安が定着してしまった。
ここへきて、国は成長戦略だとかを打ち出しているものの、経済の弱さは相変わらずである。
日本の産業界全般に、何でもかんでも国頼みの他力本願が染みついてしまい、かつてのアニマルスピリッツは何処へやらだ。
もうそろそろ、企業も個々人も、自助自立の精神を取り戻して額に汗流して働かないと、この先ヤバいことになる。
最近のダラダラ円安は、われわれの将来に対する警戒信号なんだろう。
