昔、そう1970年代半ばぐらいまでのことだが、運用ビジネスというものは顧客集めをしない、それが常識だった。
専門度高く運用するのは、こちらである。 より良い運用のためのリサーチなどに、100%エネルギーを注入すべし。
一方、運用を必要とする顧客サイドは、自分でよい運用委託先を見つけるぐらいの努力をして当然だろうだった。
相当に高飛車に聞こえるかもしれないが、どれもこれも理にかなっている。
ちょうど、歯医者さんへ行って治療を受けるのと同じこと。 間違えても、先生からミラーとドリルを借りて、自分で治療するなんてことしない。
運用も同じで、それだけ専門度が求められる職業であり、社会はそれを十分に理解していた。
そもそも、顧客資金獲得のために営業するなど、それだけ経営資源を削ぐことになり、運用のプロとしては、あってはならぬこと。
また下手に顧客資金集めをすると、雑多な運用ニーズを吸い上げることになる。
運用のスタイル、想定する期待リターン、まかせられる運用期間などが、ごちゃ混ぜとなった運用資金を預かって、どう運用するというのか。
そんなダボハゼ運用では、結局のところ大した成績を残すことができず、顧客から捨てられる。
それよりも、自分とこが得意とする運用に徹して、成績を積み上げることだ。
さすれば、そういった実績を良しとする顧客が向こうから来てくれる。 その方が、お互いにとって、よほど賢い。
ところが、80年代に入ってからというもの、運用ビジネスは一気にマーケティングのビジネスへと変容していった。
その引き金となったのが、世界最大の運用マネーとして躍り出てきた年金資金の登場である。
そのあたりは、別の機会に書くとして、世界の運用ビジネスは大きく変容してしまった。
どういうことか? どの運用会社も資金集めのマーケティングに、経営資源の大半を投入する。
いまや、世界中のほとんどの運用会社が、規模のビジネスを追いかけているといっていい。
彼らは、どれだけ多くの資金を集めても、コンピュータで高度な売買をこなすディーリング運用にまわせば、いくらでも対応できるという経営姿勢を追求してやまない。
断言しよう。 そういったディーリング運用は、金あまりバブル相場が続いている間のもの。
いずれ金融バブル崩壊とともに、彼らが推し進めている運用ビジネスは墓穴を掘ることになる。
運用ビジネスは、もともと丁寧な手作り作業を積み重ねるものである。 間違えても、機械的なディーリング運用でやっていけるようなものではない。