人はともすると、現状やここまでのトレンドに引っ張られた判断をしがちである。
たとえば、金利水準だ。 日本は1995年の9月に超低金利政策を導入し、その後はゼロ金利に移行した。
かれこれ26年半もの間、金利というものが存在しない経済下で、生活や企業活動が営まれてきたわけだ。
ここへきて、世界的なインフレ傾向もあって、金利の上昇が意識されるようになってきた。
それをみて、突如の金利上昇傾向という異常値が出てきた、そんな受け取り方がなされがちである。
なにしろ、26年半も金利のない状態が続いてきた。 そのトレンドから判断すると、異常ととらえたくもなる。
そして、その異常値に反応というか、異常を是正しようといった行動をしがちである。
現に、日銀がなにがなんでも長期金利を0.25%以下に抑え込んでおこうと、国債を無制限に指値買いするオペレーションを展開している。
われわれ長期投資家の眼からすると、大河の流れに逆らっているだけで、いずれは流されてしまう無駄なあがきと映る。
こういった時にこそ、大事にしたいのが、常識でもって考えてみることだ。
経済の常識では、金利のない世界などありえない。 そもそも金利が、あらゆる経済活動の出発点となっている。
金利がつかなければ、誰もお金を貸してくれない。 つまり、経済活動をスムーズに動かす与信という行為が機能しない。
なのに、日本はこの26年半というもの、金利をなくしてしまい、それでもって経済活動を活性化させようとしてきた。
その政策の方が、経済のそもそもから考えると異常であった。 その結果、日本経済はずっと低迷を続けたではないか。
ここへきての、金利が上昇の道を歩み出そうとする展開は、異常どころではない。
むしろ、経済活動が正常化に向かう方向で芽が出てきた、日銀などの人為を超えた経済の現場からの圧力である。
この先、金利が3%4%と上がっていっても、なんらおかしくはない。 インフレ傾向もあって、一時的には長期金利が7%10%となることもありだ。
そうなると困るのは国の財政運営であり、日銀の経営の健全性が大きな問題となろう。
人為でもって経済合理性を押しつぶしてきた咎めだ。 われわれ生活者にも、ツケはまわってこよう。
それでも、経済の常識から考えると、金利の正常化やインフレ対応の金利上昇は、あって当たり前のこと。
大きな混乱となろうが、健全なる経済や社会を取り戻すには、避けて通れれない道と覚悟しよう。