生活者投資家が地球を救う(前編)

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地球を救うなんていうと、ちょっと大げさで、人間の傲慢さをさらけ出しているように聞こえるかもしれない。

でも、気候温暖化の進捗ぶりや金融資本主義のあまりに酷い身勝手さを目撃するに、この流れはどこかで止めなくてはと誰もが思うはず。

地球温暖化が真の理由かは横へ置いて、最近の気象変動による被害の激増ぶりには危機感すら覚える。

地域的な集中豪雨、相次ぐ山火事、気温上昇による生命への影響、どれをとっても異常な事態といっていい。

CO2やメタンガスの削減を急ぎ、地球温暖化のスピードを緩め、ゆくゆくは温暖化をストップさせないと大変なことになる。

とはいえ、新興国や途上国の経済発展をはじめ世界経済の成長を、その代償とするわけにはいかない。

なんとしても、人類の英知でもって再生エネルギーの開発普及を急ぎ、石油や石炭の燃焼を激減させたいものだ。

一方、株主第1主義の企業経営と金融資本主義の暴走ぶりは、少数の富める者と多数の低所得化など目に余るものがある。

最近ようやく、SDGsとかで企業に社会性ある持続的な発展を望む声が高まってきた。 これまでの暴走の、あまりの酷さの裏返しだ。

それでも、なかなか事態は改善しないだろう。 なにしろ、株主利益追求や金融所得最大化の黒幕が年金など機関投資家なのだから。

いつも、表向きではアクティビストや投資ファンド、そしてヘッジファンドなどによる株主の横暴で企業経営を揺さぶっている。

しかし、その裏には年金などの巨額資金や世界的な金あまりを受けた金融機関の運用マネーが、ドーンと控えているのだ。

機関投資家や金融機関の運用担当者にとっては、少しでも多く毎年の運用成績を上げることが、彼らに与えられた役割である。

彼らは毎年つまり短期の成績を積み上げる役割を果たすために、ありとあらゆる運用テクニックを講じる。

同時に、企業に対しては短期の運用成績につながる方向で、大株主として様々なプレッシャーをかける。

これが、企業を短期志向の経営に追いやる最大の圧力となる。 その結果、利益刈り取り主体のその場さえよければ経営となってしまう。

年金など機関投資家運用が諸悪の根源、すくなくともその一翼を担っているというならば、一体どうしたら良いのか?

方法はふたつある。 ひとつは年金の運用そのものを止めることだ。 これは、近いうち別の機会に書こう。

もう一つは、生活者投資家という概念を世界的に広めることだ。 これは、明日また書こう。