今日はデフレについて考えてみよう。 もちろん、生活実感ベースでだ。
学者先生の難しい理論とか数式はどうでもいい。 デフレ経済の一体どこと何が、生活者にとって困ることなのかを考えてみよう。
困るのは、経済活動が縮小していって、仕事がなくなり給料が減ることだろう。 いずれ生活できなくなってしまう。
よくデフレだと、物の値段が下がっていく、ちっとも値上がりしないと騒ぐが、それでも一向に構わない。
給料が上がっていれば、むしろ物価が下がっている分だけ生活水準は高まってくれて歓迎である。
そう、いくらデフレ現象下であろうと経済活動が活発で、ある程度の成長を続けてくれれば、何の問題もないのだ。
ところが、一般的には経済活動イコール総生産あるいは総消費とされるから、モノの値段が上がってくれた方が数字は高まる。
つまり、「生産(消費)された量かける価格」が経済ということで、物価上昇が重要視されるわけだ。
ということは、物価は上がらなくても生産や消費の量さえ、どんどん高まっていってくれたら問題はないはず。
といっても、むやみやたらに生産活動を引き上げることはできない。 現に、いくらアベノミクスが成長産業政策とかをやっても、なかなか効果が出ないではないか。
そこで発想を変えて、消費をどんどん拡大させる図式で、経済活動を活発化させる方向に舵を切るのだ。
具体的には、いつも書いているようにモノでない方向での消費を高めることだ。 成熟化している日本経済では、モノへの需要は買い替え主体で、そうそう伸びない。
なら、文化・教育・芸術・スポーツ・技術・寄附・ NPO ・ボランティアといった分野で、「お金をつかう文化」を醸成することだ。
そういった分野に国民がどんどんお金をつかえば、雇用や新しい産業が生まれてくる。 その部分の経済活動が、日本経済に上乗せされるはず。
モノでない方向でお金をつかうことで、モノとは別次元の経済活動がプラスされていく。 それが、成熟経済の発展拡大モデルなのだ。
一般的な経済活動に加えて、「お金をつかう文化」が生み出す消費が合わさって、いくらでも成長率を高めることができる。
幸いなることに、851兆円という世界最大の眠れる資源が、国民の手元に預貯金として眠っている。
そのうち、たった3%が「お金をつかう文化」として流れ出すだけで、日本経済はたちどころに5%成長してしまえる。
もちろん、いくらでも円高になってくれて構わない。 それだけ、国民の生活は実質的に豊かになるのだから。
そう、物価は安定しているなかで、国民の所得はどんどん上昇していくという、最高の図式を日本は世界に先駆けしてしまえるのだ。