世界の株価が大幅に上伸している。
だらしなさでは最右翼を独走する日本株市場も、
今日はさすがに連れ高するだろう。
株価が戻りに入ってくれば、もうこちらはやることがない。
なにしろ安い間にたっぷり買ってあるから、
評価益が膨れ上がるのをニヤニヤしながら眺めているだけでよい。
だから今日はちょっと違った観点で書いてみよう。
この数年、格差が拡大してきたとか、
格差社会とかひんぱんに言われるようになった。
一般的な認識は、
低所得層が増加していき一部の富める人達との間で、
生活水準から教育まであらゆるところで不公平感が拡大するということだろう。
それは、成熟経済で先輩に当たる欧米社会に定着している現象でもある。
ちょっと待てといいたい。
たしかに、日本経済の成熟化で成長率が鈍り、
そのあおりを受けて低所得層が増加していく流れは止められない。
まじめに働いていれば、
給与所得がどんどん増えていった経済の拡大発展段階を卒業した以上は、
もう仕方ない現象である。
しかしだ、
自分は大丈夫と思っている中高所得層の人達が、
本当に大丈夫なのか考えてみるべきだろう。
日本経済が長期高度成長路線をばく進していた頃は、
右肩上がりの勢いに如何に要領よく乗るかが、
日本人の富の形成に大きく影響した。
もうひとつは、土地を持っている家に生まれたかどうかだ。
土地を抱えていれば資産価値はすさまじい勢いで上昇していったから、
何もしないでも資産家になることができた。
いってみれば、右肩上がりの勢いに乗ることと、
土地などは抱えていることが、日本における財産づくりの要諦だった。
ところが、いまや右肩上がりの経済成長は過去のものとなってきたから、
もう乗っかる勢いというものがそう簡単には見つからない。
同時に、土地の価格は平均的にみると1982年の基準まで下がってしまったし、
もはや下手に抱えていると固定資産税に追いまくられることになりかねない。
つまり、これまでとは富の形成パターンが変わってしまったのだ。
そのうち否応なしに実感するだろうが、
もう預貯金と土地があるから大丈夫といっていられない。
持っていると思っている財産の食い潰しが急速に進むことを覚悟しておいた方が良い。
成熟経済における資産形成の王道は長期投資なんだが、
さてさてどれだけの人々が新しい財産づくりに踏み切ることができるのかな。