日本のみならず、世界の運用業界はブレーキがかからないどころか、暴走を加速させている。
その第1は、現在進行中の世界的な金融バブルに乗って債券市場や株式市場で上値を買いまくっていること。
よくいわれる、音楽が鳴っている間はダンスを踊り続けなければならないを、地でいっているわけだ。
これは機関投資家が抱え込む構造的な問題である。 上昇相場を自分の判断で途中下車できないのだ。
そろそろ利益確定をしようと、売りを出すのはいい。 だが、その後も相場上昇が続くと、早く売った分だけ成績競争で後れを取ってしまう。
投資家顧客からは常に運用成績の向上を求められているから、成績競争で後れを取るのは致命傷となる。
それは何としても避けたいから、どの機関投資家も上昇相場を最後の最後まで追いかけることになる。
その挙げ句に、どこかで暴落相場を食らっても大丈夫。 強烈な暴落相場に遭遇したから、その影響で成績下落は免れなかった。
そういえば、投資家顧客は仕方ないねと納得する。 なにしろ、どの機関投資家も押しなべて成績を悪化させているのだから。
これでは、投資家顧客の資産形成をお手伝いするという、機関投資家本来の責務など放ったらかしもいいところ。
第2は、運用資金獲得のマーケティング競争で、運用手数料をどんどん引き下げていること。
それでもって自社の優位性を訴える武器としているが、運用のプロとしての誇りも責任意識も捨て去っている。
まともな運用をすれば、それなりのコストがかかる。 また、運用のプロとして相応の報酬を請求して当然のこと。
ところが、運用手数料をやみくもに引き下げれば、コストのかからない機械運用に傾斜していくしかない。
コンピュータに頼れば、そこは数式とプログラミングの世界。 データの演繹的な処理と迅速な売買執行が勝負となる。
投資の本来の姿である、どう将来を読み込んで、どんな将来を創っていくかの意思も方向性も、はじめから捨て去っている。
これでは、どこかで大きなパラダイムシフトが起こったりすると、まったくついていけず右往左往したまま投資損失を積み重ねることになる。
もうそう遠くない先で起こるであろう金融バル崩壊で、それが如実にかつ悲惨な姿で表面化しよう。
第3は、運用成績という数字を追いかけるあまり、巨額の資金を無機質なディーリング運用に張り付けているが、そこから何の価値も富も生み出していない。
単なる数字の追いかけを運用としているものの、経済社会の拡大発展に資する意識も意欲も、まるで持っていない。
これでは、機関投資家という職業が、その社会的意義も目的も放棄してしまっていると断じるしかない。
そんなところへ、われわれの大事な年金を預けて良いものだろうか?