日本の金融も、預貯金者も置いていかれるぞ!(前篇)

Browse By

新入社員の研修をしていて、「どうして、さわかみファンドは金融を組み入れないのか」という質問があった。

質問に答える前に、「どうしてなのか、自分で考えてみろ」といって、2日ほど余裕を与えた。

懸命に考えたのだろうが、世の中で問題視しているような点ばかりを挙げてきた。

構造的な問題だよとヒントを与えておいたが、そこまでは誰も踏み込んで来れなかった。

逆に、「なるほどな、世の中の認識はそんなところか」と、妙に納得した。

そう、日本の金融全般も預貯金者も、自分たちがもはや時代遅れになっており、適者生存の鉄則から置いてきぼりを食らっている。

それに、まったく気付いていない。 否、それで何とかなっているのは、日本経済の地力の賜物であるが、もうそう長くは続かないだろう。

どういうことか? 戦後復興から高度成長期までは、乏しい国内資金をフル回転させて経済建設を急いだ。

国民の資金は1円の無駄もなく吸い上げて、それを効率よく産業界へ流し込むべく、国は間接金融システムを強力に推進した。

その窓口機関として銀行や生保を手厚く育成し、また郵便貯金の制度も整えた。 同時に、貯蓄信仰を徹底させた。

つまり、銀行は一行たりとも潰させないという政策で、国民に安心感を与えて銀行に預金がどんどん集まるように仕向けた。

銀行はどんどん流れ込んでくる預金を、企業の資金決済や短中期の融資にまわした。

生命保険も税優遇措置で契約を促進させて、コンスタントに集まってくる毎月の保険料を、長期の産業資金として融資や投資にまわした。

郵便局は国営銀行として貯金を集め、その資金は第2の予算といわれた財政投融資の原資となり、ダムや鉄道建設そして港湾の整備などにまわされた。

一方、株式投資などは博打だリスクが多いといった社会認識が広がるがままにして、国民に安全で確実な利殖をと預貯金へ指向させた。

その横で、資本市場は間接金融の補完手段に留め、債券の発行市場だけは育成した。 それでもって電力会社などが長期資金を調達できるようにした。

これら間接金融の仕組みを完璧に整えて、国が先頭に立って強力に推進したことで、世界が脅威に思うほどの高度成長を成し遂げたわけだ。

しかし、それは1980年代はじめまでの話。 日本経済が成熟化してくるにつれ、間接金融の弊害が次々と露出してきた。

そのひとつに、国内の資金の流れが企業や産業に向かうだけの一方通行であることが挙げられる。

かつては、いくらでも資金を欲しいといってきた産業界だが、資本の蓄積が進みむしろ返したいと言い出した。

ところが、国民の資金は相変わらず銀行・生保・郵便局に集まって来てしまう。

行き場を失った資金が突出したのが土地や株式投機となって、80年代後半のバブルを発生させた。

ちょっと長くなりそうなので、この続きは明日にします。