中国古典研究家の守屋敦さんを先生にしての論語の勉強会は、いつしか5年を超えたが、なかなか前に進まない。 それが、この勉強会のおもしろいところでもある。
出席者は企業経営者や高級官僚、弁護士やサラリーマン・NPO 代表と多種多様。 しばらくは守屋さんの講義を聴くが、そこから先は守屋さんの絶妙なリードの下、みなで論語に書かれている内容にあれこれ意見を披露する場となる。
それぞれの立場や経験から、「なるほど、そういうこともあるわな」と考えさせられる見解が、次から次へと飛び出てくる。 それでまた議論が深掘りされるといった展開だ。
昨夜も、いろいろな意見や見解が飛び交った。 その中、ひとつの発言から熱い議論に発展した。 50歳を超えてくると、割増し退職金をもらって会社を去るか、雇用は続けられるが2階級下がるのを受け入れるか、どちらかの選択を迫られる。 それで、友人たちは悩んでいると。
最初のうちは、最近の職場環境は厳しくなってきたよねといった反応が続いたが、時をおかずして「なにを、そう悩むのだろう」に、場の雰囲気は変わっていった。
どちらかの選択を迫られる当事者からすれば、深刻な悩みかもしれない。 だが、世間一般あるいは世界全体を見渡すと、贅沢な悩みもいいところ。 一体、なにをそんなに苦しむのといいたくもなる。
そこから貧困問題へと移っていった。 いろいろな分野からの出席者が、同じ貧困問題といっても様々な意見や経験談が飛び出てくる。 本当に生活ぎりぎりといった人たちもいれば、ズルを決め込んでの貧困者や生活保護の不正受給もある。
ズルい人たちは横へ置いて、貧しいけど懸命に頑張っている人たちへ、何かお手伝いできないものだろうか。 そのあたり、国や役所には限界がある。 なにしろ、国や役所の定めたルールに沿って、ずるを決め込んでいる人たちが一杯いるのだから。
その点、この12月から本格稼働に入る「お金をまわそう基金」は、こちらが主体となって寄付先を厳しく選別できる。 逆をいうと、どことどこへ寄付させてもらうかを、すべて透明にして世の評価を仰ぐのだ。
さわかみファンドの長期投資もそうだが、お金をまわそう基金も「世の中のお金の流れを、こう変えるのだ」という方向性でもって、広く社会の支持を得ていきたい。
どちらも、どんどん大きくなっていくことで、より良い社会を築いていくことになる。