寄付も長期投資も文化だ

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 世の中にお金をまわしてやって、より良い経済や社会を築いていく。 そこに住むのは自分たちであり、子供や孫たちである。 だからこそ、お金をまわすといっても、そこに一人一人の意思や哲学が反映されなければならない。 お金にそれぞれの思いや夢を乗せてやるといってもいい。

 そう考えると、もうこれは文化である。 たとえば、長期投資で財産づくりをしていくといっても、やみくもにお金を増やすのではない。 なんのための財産か、どんな方法で財産を殖やしていくかで、いつも社会とのつながりを意識しながら進めていかなければならない。

 そんな青臭いこと言っておれるか、たっぷり金を稼いだ方が勝ちだと突っぱねるのも自由。 しかし、その人も一人では生きていけない。 何らかの形で社会との接触は続く。 その接触が自分と同じ、なんでもかんでも金だ銭だの連中ばかりだと、毎日の生活がやたら無機質で殺伐としたものになってしまう。

 それで十分というなら、それも良し。 好きに生きていけばいいだろう。 そういった自分中心の金権亡者たちの集まりもあるから、そこで金きら金の仲間とセレブ意識でも共有すればいい。

 一方、どうせ生きていくなら、お互い様とかおかげ様といった、人間としてのやさしさと思いやりをもってと願うなら、やはり社会とのつながりを大事にしなければならない。 それが文化である。

 自分もそうだが、自分のお金にも社会とのつながりを意識して働いてもらう。 それも、より良い社会をつくっていくという方向性をどんどん強めながら。

 われわれの長期投資でいうならば、ありとあらゆる利害関係や目的を持った資金が流れ込んで力と力がぶつかり合うマーケットで、より良い世の中を築いていくという筋を通しながら力の勝負を挑むわけだ。

 より良い社会をつくっていこうとする思いには、多くの人々の共感が得られやすい。 それも、本物度合いが認められれば認められるほど、後から人々がついてきてくれる。 だから、長いめで見ると長期投資はマーケットで勝ち抜いていくことになる。 これも文化だからこその強さである。

 そこで寄付とかチャリティーだが、お互い様という気持ちで自分のお金に、より良い世の中をつくっていこうとする方向で働いてもらうのだ。 余裕ができてからとか言っていると、いつまで経っても何もできない。 世の中に何かさせてもらうことを、毎日の生活の一部に組み込んでしまおう。

 やっているうちに分かってくる。 いろんなところで、少しずつお役に立てられるということが。 自分自身、タイガーマスク基金とかいろいろお手伝いさせてもらっているが、ちょっと贅沢を抑えると結構できてしまうもの。 その上で、ラーメンと餃子にビールを一本つければ、幸せな夕食となる。 これも、自分なりの文化である。

 10月19日(土)の読売新聞の夕刊に、寄付も長期投資も文化だという主張を載せてもらっています。 面白いですよ。

 いまから週末にかけて、京都、広島、大阪で4本のセミナーに出かけます。 それで、次の長期投資家日記は月曜になります。 来週は、びっしり書きます。