マーケットは常に正しい、マーケット動向に文句は言うな、そう昔から言われている。
多種多様の参加者が自由自在にマーケットに参加し、その時々の需要と供給の力関係によって価格が形成される。
その価格も時々刻々と変化していく。 したがって、マーケットでの価格動向は、きわめて経済合理的である。
ここまでは、まったくその通りである。 合理的な価格形成をベースにして、経済活動が営まれていくわけだ。
ところが、世界の金融マーケットをみるに、マーケットに流入してくるマネーの大半が機関投資家に握られている。
そして、機関投資家たちが押しなべて資金運用に堕している。 投資運用ではないのだ。
投資運用であれば、運用者たちがそれぞれ独自の価値判断や思惑でもって、自由自在に買ったり売ったりする。
多種多様な価値判断の中には、長期の視点もあれば、価格変動を追い回すディーリング運用も入ってくる。
その中で形成されていく時々刻々の価格は、いろいろな価値観の総和であり、きわめて合理的である。
しかるに、世界の金融マーケットを牛耳っている機関投資家マネーは、資金運用を専らとしてしまっている。
資金運用? そう、マーケットの価格動向からは一歩も離れず、そこでの売買益を積み重ねる運用だ。
つまり、世界の運用マネーの大半がディーリング運用、あるいはそれに近いものに向かっているのだ。
そう、どの機関投資家も、それぞれの価値判断や思惑といったものは、すべて放棄してしまっている。
そして、ひたすらマーケットについていこうとする。 彼らは、みな投資運用を棄て、資金運用に堕しているのだ。
となると、世界の金融マーケットでの価格形成は、すこぶる単純で薄っぺらなものになってしまう。
単純で薄っぺら? そう、ゼロ金利や空前の資金供給によるカネ余りで買い上がるばかりできた金融マーケットだ。
まともな投資判断というものが、機関投資家の巨大な資金運用マネーに蹂躙されてしまっての価格動向だ。
そんなマーケットべったりの価格動向に向かって、新NISAによる投資が進められているわけだ。
まさに、くわばらくわばらである。 機関投資家の資金運用などと一緒になっての資産形成なんて、あり得ない。
現に、世界的なインフレ圧力と金利上昇は、経済合理性の刃としてカネ膨れした世界経済や金融マーケットに突き刺さってきているではないか。
われわれ本格派の長期投資家は、いつでも経済合理性に基づく投資判断からは一歩も離れない。
新NISAの制度を活用するのは、一度マーケットが大きく崩れた後からでいい。