もともと農耕を主として来た日本人には、刻苦精励と勤倹節約が生活信条として刻み込まれていた。
そこへ明治以降、新たなる価値観として日本人に植え付けられていったのが貯蓄信仰である。
欧米の列強に伍していくには、国を富まし経済力を高めるに如かず。 富国強兵と殖産興業を急ぐべし。
そのためには、国内の資金を1銭の無駄もなく産業育成にまわす必要がある。
そこで、国民に貯蓄を奨励しつつ郵便貯金の制度を導入した。 また、民間銀行の設立を急がせた。
チリも積もれば山となる。 お国のためにも、無駄づかいはしないで貯蓄に励もう。
郵便貯金や銀行預金で集められた資金は、それこそ1銭の無駄もなく経済インフラの整備や産業資金に投入されていった。
つまり、日本国内の資金が総動員されて、経済建設にフル回転でつかわれたわけだ。
戦後復興も、まったく同じ図式である。 国は傾斜生産方式などを導入したが、そこでも国民の貯蓄信仰が強力なベースとなった。
勤倹節約と貯蓄信仰は、一国の経済が発展拡大の段階にある間は、最大の力を発揮する。
なにしろ、国民の資金は1銭の無駄もなく工場建設など、経済の拡大再生産につかわれるのだ。
どんどん充実していく生産体系は、経済の拡大発展で豊かになった国民の生活必需品消費に応えていく。 この循環で、経済は一層の発展を遂げる。
ここまで見てくると分かるのは、日本国内でお金がどんどんつかわれていた。 それも超高速で。
ところが、この図式は一国の経済が成熟化を迎えると、たちまち機能不全に陥る。
国民の間で耐久消費財があらかた行き渡り、生活必需品などの需要が中心となり、これまで築いてきた生産設備が余ってくる。
つまり、国内でのお金のつかわれ方が急速に鈍化してしまうのだ。 すると、経済活動は低迷するし、成長力は鈍る。
この悪循環に陥って、もう28年が過ぎた。 これは一過性の問題ではなく、日本経済の構造的な問題となってきている。
その根っこに、貯蓄信仰がある。 生活に必要なモノは買うが、それ以外の無駄は出費は抑え、余ったお金は貯蓄にまわそう。
これは明治以来の日本人の生活信条だが、その一部を変える必要がある。 貯蓄信仰を切り落とすのだ。
国民に貯蓄を奨励し、それでもって経済建設を急ぐ時代は終わった。 しかし、経済の拡大発展には、お金をまわすことが不可欠。
ならば、国民の間で「生活消費を越えて、お金をつかう価値観」を醸成していくべしである。
よくいわれる、「モノ」への消費から「コト」への消費へだ。 物質的な豊かさは満たされたから、これからは心の豊かさを求めよう。
とにかく、お金を預貯金に抱え込まない、世の中にどんどんまわすことだ。 この意識を高めることが急務である。
本格的な長期投資でもいい、カッコ好くお金をつかうでもいい。 この価値観をどんどん広めようではないか。