米国の寄付総額が69兆円だって

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雑誌「オルタナ」は、サステナブル・ビジネス・マガジンを標榜して、読み応えのある内容の濃い情報を提供している。

第70号のファンドレイジングトピックスでは、米国では過去最高の寄付が集まったという記事がある。

これは、米ギビングUSAファンデーションによるもので、2021年の寄付総額が約69兆円に上ったとのこと。

前年からの比較では4%の伸びにとどまっているが、2020年はコロナ危機で寄付が大きく伸びたという事情がある。

2019年からの2年間でみると、米国の寄付は13.8%も増加しているのだ。 年間にならすと、6.9%にもなる。

すごい金額である。 うち、個人からの寄付は全体の67%とのこと。 およそ、46兆円もの寄付である。

米国の社会は病んでいるとか、分断の危機とかいろいろ騒がれるが、その横で69兆円もの寄付がなされているのだ。

この記事からも、いろいろ考えさせられる。 とりわけ、日本に寄付文化を広めようと悪戦苦闘している一人として。

米国の69兆円の寄付は、個人や企業が意識して富の再分配を実行するものだが、そもそもは善意からのもの。

ただ、善意の背景には社会の安定や持続性に寄与しようとする、米国民の積極的な意思がある。

競争社会だから弱者が発生するのは避けられない。 そのひずみを富の再分配で補い、社会を成り立たせようとする。

ややもすると、強者の論理に聞こえがちだが、弱肉強食を超えた善意というものが米国の強さとなっているのだ。

もうひとつある。 1970年代80年代と経済の低迷に苦しんだ米国で、寄付をベースとしたNPOが大発展した。

経済や社会の現場にとにかく、お金をまわしてやる。 そうしないと、米国経済はジリ貧をたどるだけとなる。

お金を出せる人が、お金を出さないと、このままではどうにもならない。

その意識が米国社会で静かに、かつ加速的に広がっていった。 それが米国経済復活の一要因となっていった。

ひるがえって日本はとみると、どうも弱々しい。 寄付に対する税優遇措置が、お粗末すぎるだけではない。

寄付なんて、手持ちのお金が減るだけ、それよりも自分のためにお金をつかうべしといった声も、しばしば聞く。

そういった日本人だが、東日本大震災のような時には義援金として、そこそこのお金が集まる。

被災者への同情では義援金を出すが、積極的な寄付でもって日本経済の活性化の一助になればという考え方は、ほとんど聞かれない。

個人の預貯金マネーが日本経済の1.8倍もあるというのに、それを活用して日本経済を元気にしようとはしない。

それでいて、経済のジリ貧や将来不安を嘆いているだけなのだ。

ほんのちょっと意識を変えるだけで、預貯金マネーはいくらでも活躍できるのだが。