明るい将来を夢みて

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どこの国でもそうだが、まだ国全体が貧しい段階では、より豊かな生活を夢みて国民は懸命に働く。

頑張れば、こんな生活が手に入る。 そう思うだけでも、将来が明るくなる。 現に、ひとつずつ豊かな生活が手に入ってきている。

これは嬉しい、さらに頑張ろうとなる。 新興国の経済が、そういった段階にあたる。

国民のより豊かな生活を実現しようとする意欲が、経済を放っておいても拡大成長させるわけだ。

ところが日本のように、国民のほとんどが豊かな生活というものを手にしてしまうと、経済はガクンと成長力を失ってしまう。

国民の間で、さらに頑張ろうとする意欲がうすれ、次はこんな生活をといった新たな目標もなくなるから当然のこと。

そんな展開となって、最近の若い人たちや子供たちの間では、日本の将来を明るく思えないが著増している。

日本の将来という前に、自分の将来についても、何ら大きな夢がなくなっている。

その横で、ひたすら豊かな生活を求めて邁進してきた間に、とにかく自分のことばかりに意識が行ってしまう社会になってしまった。

周りの人への配慮とか、皆の幸せといったものは、そっちのけ。 自分さえ豊かになればで、ひたすら頑張ってきた。

そういった生活感の象徴が、大都市への人口集中となった。 そして、「隣は、なにをする人ぞ」が、ごく普通の社会現象となってしまった。

人口動態の都市化が進むとともに、人と人とのつながりが薄れていった。 お互い様とか、助け合いなんて言葉は都市生活では、まずない。

そんなところへ、日本経済の成熟化で将来への夢がなくなってきた。 独居個人ともいえる生活で、将来への目標が持てないと、これは寂しいものだ。

とてもではないが、将来を明るくなんて思えそうにない。 そういった社会で育っていく子供たちは、一体どうなるのか?

経済の原点に戻ろう。 経済なんてものは、人々がお金をつかう方向で、いくらでも拡大発展する。

モノという面では豊かな生活を実現した。 であるなら、モノではない方向で、いくらでも豊かな生活を求め続けたらいい。

心の贅沢とか、気持ちの満足とか言った方向で、どんどんお金をつかうのだ。 そこに、新しい産業が次々と生まれてくる。

すなわち、文化・芸術・教育・スポーツ・技術・寄付・NPO・ボランティアといった分野で、お金をつかって新しい産業を生み出すのだ。

そうなってくると、若い人たちにも夢が広がってくる。 将来が明るくなるのは間違いない。

こっちの方向では、工場で製品を大量生産するのとは違う。 放っておいても、人と人の接点が多くなる。

それは、大都市に住もうが、田舎に住もうが同じこと。 こういった社会改造を、国に頼むのではない。

われわれ民間でやってしまうのだ。 たっぷりため込んである預貯金の5%もまわせば、もう十分に日本を変えられる。