年金運用のあるべき姿

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12月19日出版の新著にも、かなりのスペースを割いて書いたが、年金運用の在り様はすごく問題である。

年金は生活者の老後を支える、きわめて大事な資金である。 そのためには、安定度が高く慎重な運用が求められる。

同時に、その株式投資運用においては、経済や社会に良かれとする方向で、お金に働いてもらうのが本来の姿。

われわれ本格派の長期投資からすると、年金運用こそが長期投資の最たるものである。

ところが現状は、世界の機関投資家のほとんどが平均株価などインデックスにつかず離れずのコンピュータ運用となっている。

その背景には、80年代に急激に膨れ上がっていく年金マネーに対し、アナリストやファンドマネジャーが不足しだした。

それで、コンピュータを活用するしかないとなって、インデックスをなどるだけのパッシブ運用が主流となっていった。

また、巨大な年金マネーの運用を獲得すべく、どの運用会社もマーケティング会社に成り下がっていった。

マーケティング競争が激化していくにつれ、運用の評価をするに、それまでの10年では長すぎるとされだした。

そんな長期間では商売にならないで、あっという間に、5年、3年、いや毎年で評価しようになってしまった。

年金は大事なお金だから、10年たって運用が下手だったでは手遅れだ。 やはり、毎年の成績をチェックすべしだ。

年金マネーを獲得しようとする側からすると、格好のお題目を得て、ますますマーケティングにのめり込んでいった。

毎年の成績数字を追い求めるようになれば、もはや長期投資どころではない。 短期の株価追いかけ投資となってしまう。

年金運用の現場では、ひたすら成績という無機質な数字を追い回す資金運用(Money Management)が主体となっていった。

それと、コンピュータによるパッシブ運用がドッキングしてしまったのが、この40年間の年金運用である。

そうなると、平均株価を買うだけの投資となり、株式投資で一番大事な企業の取捨選択という作業が放棄される。

現在そして将来に向けて、こんな企業に頑張ってもらいたいとする企業選別は、投資家の大事な役割である。

とりわけ、年金のような生活者にとって大切な資金を預かり運用する機関投資家の社会的責任である。

そのあたりは全く考慮されず、ただただ成績数字さえ上がればいいの部分最適の追求にのめり込んでいるのだ。

経済や社会の全体最適に責任を持とうとする意識も意思のかけらもないのが、年金運用である。

それが、世界全体では巨大な仕組みとなってしまっていて、もはや軌道修正もままならない。

いずれバブル崩壊でマーケットが棒下げすれば、機関投資家運用が大混乱に陥って、猛反省を迫られよう。