社会的格差の拡大といった嫌な表現が、ひんぱんに語られるようになってきた。
正規雇用と非正規雇用、持てる者と持たざる者、ますます富める強者と社会的弱者などなど、一杯ある。
そういった格差を是正するには、累進課税の強化と非課税最低限所得の引き上げが一般的である。
累進課税の税率をあまりに高めると、稼げる人たちの意欲をそぎ落とし、経済全体ではマイナスになる面を考慮する必要がある。
一方、非課税最低限所得の水準、つまり低所得層への配慮では、日本が世界を圧倒的にリードしている。
所得税を免れる年間の所得水準が、日本では欧米各国よりもダントツに高い。
それだけ税金を課されない低所得層といわれる人々が多いわけで、日本の財政赤字の要因の一つである。
だからといって、課税所得水準を引き下げたりすると、ますます格差問題の火に油を注ぐことになる。
では、どうするか? ここで盛り上げたいのは、寄付の文化を高める社会運動だ。
税のような強制力はないものの、「寄付は社会の成熟度を示すバロメーター」という認識を広げていけば、意外と大きな力を発揮する。
前から書いているように、個人の預貯金のたった1%が寄付にまわるだけでも、9兆円という途方もなく巨額さだ。
9兆円の寄付が生活に厳しい人々の間で消費に回っていけば、それだけで日本経済は1.7%の成長となる。
どうせ預貯金に寝かせておいても殖えやしないのだから、思い切って3%を寄付にまわせば、なんと5%成長だ。
その過程で格差是正に大きく貢献し、なおかつ日本経済が成長するのだから、寄付の文化を広めない理由はない。
もともと日本には、「お互い様」とか「お陰さまで」といった文化が根付いていた。
これは、余裕がある人が生活に厳しい人を手助けするといった、上から目線とはちょっと違う。
いつも周りを思いやる、やさしい心情から自然と発する行動である。 だから、軽やかに「お互い様よ」と受け流しでいくのだ。
寄付を「お互い様よ」といった感覚で、みなが習慣化すれば、日本社会も経済もびっくりするほど変わる。
潤いのある豊かさを、みなで楽しむ社会になっていくのだ。 そんな社会を目指して、個々人の意識を高めていこうではないか。