1970年代から80年代の前半にかけて、日本製品は米国市場で猛威を振るった。
性能の良さ、技術の確かさ、先進性などで高い評価を我がものにしており、米国製品を片っ端から駆逐していった。
あまりの暴威に、労働者がテレビ画像の前で日本車の叩き壊しを演じて、それが全米に放映された。
また、半導体戦争が日米通商交渉の場で長年にわたって熱く議論されたが、その間も日本製半導体のシェアは高まる一途だった。
そうこうしている間に、このまま日本をのさぼらせていては、アメリカの国益を損なうといった世論が、じわじわと高まっていった。
日本製品は歓迎だが、日本が米国の脅威になることには我慢ならぬといった感情論が、米国内に浸透していったのだ。
そこで、米国政府は強烈な巻き返しに転じた。 1985年9月のプラザ合意で、為替を1ドル250円へと円高を強要した。
71年のニクソンショック以来、世界の為替相場は変動制になっており、交易を通じてのドル円は300円前後だった。
それを、先進7か国が参加したプラザ合意で、強引に1ドル250円に持っていったのだ。
交易レートを大きく超えた円高を強制すれば、日本製品の米国市場における猛威は和らぐだろうという政治判断だった。
同時に、米国は日本に内需拡大を強く迫ってきた。 輸出拡大に傾斜した政策を、内需振興に向けよということだ。
米国の強い圧力を打受けて、日本政府は国内での投資を活発化させるため、公定歩合を引き下げて資金をジャブジャブに供給させた。
また、地域開発につながると、リゾート開発法案を制定した。 これらが、80年代後半のバブルにつながっていったわけだ。
バブルが弾けて29年、日本経済は見るも無残に落ちぶれてしまった。 為替レートこそ、1ドル109円と、日本製品は頑張っている。
しかし、この20年間で米国経済はヨ-ロッパ経済ともに2倍に拡大したが、日本は低迷したまま。
つまり、米国民の所得は2倍となったが、日本はまったく取り残されているわけだ。
80年代に米国が日本憎しで動き出したのに、日本の政治は対応を誤り、後手後手にまわった結果だ。
いま、米国は中国と対峙している。 この先、米中の貿易戦争がどう転がっていくか。
オバマ政権が中国を野放しで好きに膨張させたが、トランプの米国第1主義は「ちょっと待ちな」 と、どすを突きつけている。
この先、ひとつ間違えると、「この際だ、中国を徹底的にたたいてやろう」といった世論が、米国内に高まることもあり得る。
日本の政治家が後手後手の対策に追われたのを学んでいる中国は、さあどう対応してくるのか。
歴史は勢いで動いてしまうことがままある。 どのような展開となるかは、神のみぞ知るところ。
はっきりしているのは、米国や中国の人々そして世界中の人々の生活は、なにがあろうとなくなりっこないということ。
そう、しっかり長期投資しておけば、別に慌てることはない。